麻布大観音がある曹洞宗大本山永平寺別院 長谷寺の公式ホームページです。

soudou

僧堂安居者募集

僧堂安居者募集

長谷寺は曹洞宗の専門僧堂(お坊さんになるための修行道場)です。
安居者を募集しています。
安居するためには曹洞宗の僧籍が必要です、出家得度後に掛搭志願書をご請求下さい。

○まじめな志を持った徒弟を募集します。
○本山に則った、法式・作法・その他の学課に基づき、安居の充実をめざします。
○常在12名の役寮による懇切な指導のもと、豊かな修行生活を志向します。
○生活・勉学に必要な衣資料が支給されます。
○高齢者の方、中途出家の方々にも親切丁寧に指導します。
○年に1度健康診断を実施しております。
○宗乗・余乗の他、梅花、書道、茶道等の本講もあります。
○首都東京にあるため、各種美術展、国宝展などの見学の機会に恵まれています。
○年に1度大本山永平寺への宿泊研修と、全国各地の名刹拝観研修があります。
○僧堂行事の他、葬儀、法事、観音堂祈祷などの法要を通じ、堂行、副堂、挙経法なども1年で習得できます。
○身体に障害のある方は掛搭志願書請求の際ご相談ください。

◎僧堂案内・掛搭志願書ご希望の方は受処までお申し込み下さい。

ご不明な点がありましたら受処までご連絡下さい。
TEL 03-(3400)-5232 まで

専門僧堂

禅宗が独自の修行道場を持つようになった中国の唐・宋時代以降、堂の中央に聖僧を安置し、修行僧が常にそれを囲むようにして単を設けて、坐禅のみならず睡眠や食事までも行う道場のことを「僧堂」といいます。

後の明・清時代には、禅堂という建築になりましたが、それは、本来の僧堂から坐禅だけの機能に特化した僧堂とは異なるものである。日本曹洞宗では、僧堂のみがあって、禅堂は基本的に置かれない。また、このような僧堂は百丈懐海による『禅門規式』によって定められています。

【是に於いて創意して、別に禅居を立てる。凡そ道眼を具え、尊するべきの徳有るは、号して長老と曰う。西域の道高く臘長きを須菩提等と呼ぶ等の謂いが如くなり。既に、化主となって、即ち方丈に処す。浄名(=維摩居士)の室に同じ。私寝の室に非ざるなり。仏殿を立てずに唯、法堂を構えるは、仏祖親授の当代の尊と為すを表するなり。哀れむ所は、学衆の多少無し、二の高下無し。尽く僧堂中に入りて、夏次(=出家してからの年数)によって安排す。長連牀を設けて、施架に道具を掛搭せん。 】

ここでは、修行僧は僧堂内の長連牀の上に法臘の長幼にしたがって、その位を定め、昼夜の坐禅に、粥斎二時の行鉢、夜間の開枕まで行われる。なお、僧堂の配置は山門の正面にある仏殿の向かって左側に庫院と相対して置かれる。

日本で最初に僧堂を配置したのは、道元禅師が創建した宇治の興聖寺であるとされる。そのために、道元禅師は勧進(『宇治観音導利院僧堂建立勧進之疏』参照)まで行っており、またその真意について『正法眼蔵随聞記』では次のように伝える。

【今僧堂を立テんとて勧進をもし、随分に労する事は、必ズしも仏法興隆とは思はず。ただ当時学道する人も無く、徒ラに日月を送る間、ただあらんよりもと思フて、迷徒の結縁ともなれかし、また当時学道の輩の坐禅の道場のためなり。 『正法眼蔵随聞記』巻3-6 】

そして、永平寺では創建当初から、僧堂が揃っていることを喜んでいる様子が伝えられている。

【測り知りぬ、坐禅は是、悟来の儀なり。悟は只管に坐禅するのみ。当山始めより僧堂有り、是、日本国、始めてこれを聞き、始めてこれを見、始めてこれに入り、始めてこれに坐す。学仏道人の幸運なり。 『永平広録』巻4-319上堂 】

なお、道元禅師は僧堂での修行を示して『重雲堂式』『弁道法』などを執筆しておられる。その後、江戸時代に明様の禅堂・食堂という建築方法が入ってきたが、面山瑞方や玄透即中などが行った「古規復古運動」によって、再び僧堂を中心とした修行が復興され、特に面山はそのための『洞上僧堂清規行法鈔』(5巻)及び『洞上僧堂清規考訂別録』(8巻)を著している。

引用:つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional